3-17 -1 Day7 明けない夜はない、陽はまた昇る

3/17 -1

朝起きると、一面雪景色。
どうりでこんなに寒いはずだ。毛布を持っていない人達は大丈夫だろうか、と
言葉に出来ない感情を胸に、ジャンパーを羽織る。


町内はどうも慌ただしい雰囲気。
お隣りのお寺に物資が届いたとのことで、
振り分けや、人数の確認でみんなが動き回っている。
僕も手伝う。
町内会も、隣の町内も、非町内会民も関係無く団結している。
しきりは、うちの親父がうまくやってくれている。本当に頼もしい。




Twitterで、隣の町内の人の安否確認をお願いされていたので、
住所をきき行ってくる。
人に聞いてたどり着くと、その人は無事に生き残ってくれていました。
生きててくれてありがとうと、心から思う。
Twitterで無事を伝え、いったん家に戻る。

macやiPhoneのバッテリー、充電池を一つのバックに詰めて、
舛さんの家へ向かいました。
本当に有難い気持ちで一杯だった。

充電されるまで、時間がかかるので
街中を歩いて目に焼き付けようということになり、
歩いて門脇、南浜地区へ向かいました。

途中、途中瓦礫で通れない道があったので、
通り慣れていない道をぐるぐるまわりながら、向かいました。







地元の筈なのに、どこを歩いているのか段々わからなくなってくる。
前日まで眼に見えるところにあった遺体は、自衛隊の方々が収容してくれていたので、
あまり遺体は目にしない。




門脇の住宅地に入った時に、
声にならない、音にならない、叫びを僕らが出していた。
言葉にならない。




何かが焦げている強い匂いと、
まだチリチリと煙を上げている瓦礫。
道路は、地盤沈下している場所もかなりあって、
変形して、海水が入り込んできて、歩いて行くのもちょっときつい。
瓦礫をかき分けて進めるところまで、進む。








しばらく、二人で黙って進む。
雲雀野海岸付近でようやく言葉が出る。

でも、もう何を言ったらよいのか分からない、
言葉にならない、それはお互い同じことを感じていた。
生き残ったことの奇跡や、地震、津波のこと、
本当に色々な事が動時に胸の中で回っていた。


そういえば、僕は舛さんのことを実は何も知らなかった。
歳を聞くと僕より2年年上だった。
誕生日を聞いたら、なんと僕の誕生日と同じ日、7月28日だった。

なんだか、不思議な縁だね、ということを話をしていたのは記憶している。
同じ誕生日で、同じ方向を向いていて、11日に知り合って、
そして今一緒にいる。
きっと、この人とはこれからも関わっていくだろうなと強く思いました。

この奇跡の上に立っているんだな。

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