3-11 Day1 明けない夜はない、陽はまた昇る


2011年 3月11日に、全てが揺れて、
波に流され、火事に燃やされ、空腹に飢え、寒さに泣く。
福島の原子力発電所が爆発し、放射能汚染に怯える。
そんな日を迎えることになるとは
去年の僕は全く予測出来なかった。

11日のあの時間は石巻で新たに立ち上げた
「ひたかみ自然農学校」の発起人の一人の舛洋介さんと、ジャスコで待合せをしていた。
(ジャスコで待合せというの、ちょっと笑えますね(笑))
オーストラリアのパーマカルチャービレッジ、クリスタルウォーターズから帰ってきて、ようやく石巻で新たに自分と同じ方向を向いている
同年代の人に会えることがとても嬉しかった。

とりあえず、ジャスコの中にあるサンマルクカフェではじめましての挨拶。
行く途中にうちの愛犬を獣医に連れて行き
置いてきたのでちょっと遅刻。

お互いちょっと照れながら自己紹介をして、
各々の思いや、やりたいことを話してると、あの揺れが起きた。

電気は切れ、物が倒れて、来客者の悲鳴と泣声が木霊して、
まだ揺れは収まるところか、また強く揺れて館内は大パニックになった。

ここからは冷静さを失ったら命取りになると直感して、気合いで踏ん張る。
舛さんと二人で颯爽に建物を出て家族に連絡を取るために一時解散。


車も混んでいるけれど、まだ余裕がある。
信号機も点いて居ないので、恐らく市内全部停電だろうと思う。
バイパスは混雑するので裏道を通り
家にいち早く向かう。
電柱が崩れて電線が道路を塞いでいたけれど、位を決して突き進む。


何とか家に着くと、お祖母さんが
外に避難をして、親父もヘルメット着けて
色々な人と安全確認をしていた。
流石と思いや、家の変わり果てた姿に一瞬だけたじろいでしまう。






雪も降っていて、寒い。
そんな時に家の前の踏切が壊れて遮断機が
降りっぱなしになっていて、
逃げる人の車でひしめき合っていた。
遮断機を上げなきゃと思い、
お祖母さんを車に避難させて遮断機を上げる。


「津波だ!!!」

という叫び声。

一瞬わけが分からなかったけれど、
冠水がもう家まで来てるのを見て理解した。
これはかなりまずいことになっている!

車がみんな渡ってから家の敷地にはいると
冠水がもうそこまで。
早すぎる。。。!



お祖母さんを車から降ろし、
裏の自宅の二階へ連れて行き、
その時に目に入った食べ物と水を
一気に運ぶ。

親父と二人でまた外に出るともう冠水が
膝上まできている。

「誰かが流されてる!!!」

と叫び声がした。
叫び声のした方へ急いでいくとそこは
もっと地盤の低い場所でまた深くなっている。
家と家の間にいると、その家の二階から
老夫婦の悲痛な声がした。
でもそこには行けない。堀を渡ろうとしたら僕が流れに飲まれかけ
親父に助けられる。顔が一つ入る穴を見つけて覗くと
そこには手遅れになった近所のお婆ちゃんがいた。

その間に冠水がまた増してきたので、
心の中で冥福を祈りその場を後にした。

家に帰ってから、
その目の前で命を失った人に誓い、
この大災害を生き抜いて落ち着くまで、
冷静を貫こうと決めた。

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