3-14 -1 Day4 明けない夜はない、陽はまた昇る

3/14 その1

朝起きて、庭を覗き込むと土が盛上げられている部分が
水から出ている。
冠水も引いてきたみたいで、本当に安堵した。



一階の冠水も引いていて、降りられるようにもなっていた。
しかし、正面玄関まで行くところはまだ腰以上のところまで水があり、
外に出るには裏のお寺の墓地へ塀をよじ登って行く必要があった。
どっちみち、濡れるからいいかと思い、ハシゴを取りに
家の工場の、まだ冠水があるところまで行き、ハシゴを取ってきて
塀にかけたその時にひょこっと反対側から顔を出した人がいた。

湊に住んでいる、僧侶の義理兄の宗俊さんだ。
生きてた。。。!!!
良かった!本当に良かった!

父親と一緒にみんなで生還を喜び、
そのまま彼を家の中へ招き状況を伝え合う。

湊のお寺に嫁いだ姉も、生まれたばかりの姪も無事。
なんと、地震の時にたまたま遊びに行っていた、もう一人の
妊娠十ヶ月を迎える姉も無事に一緒にいるそうで、
またその姉の旦那さんで僕の義理の兄の紳几(しんや)さんも無事とのこと。
本当に本当に良かった。

しかし、ここまで歩いて来る途中に地獄を見てきたと、
現在の湊、渡波、そして門脇は壊滅状態だと伝えられる。
ここまで来る途中に何体もの遺体を見たと。
そして、冠水している道路を歩いている途中に開いたマンホールに
気づかずハマってしまい、そのまま命を落とした人も何人もいると伝えられる。
水の中を歩きまわる時は棒を使い、前方を確認しながら歩くことが必要だ。

ということで、いざ外の世界へ3日ぶりに出ることが出来た。
墓地の壁をハシゴで上り久しぶりに地面に足を着く。
まわって本堂、参道の方へ良く途中に、
あの男性の遺体が横たわっていた。
横目にご冥福を祈る。

千石町から旭町に向かうと、地震と冠水の爪あとを見ることになる。







電柱は曲がり、踏切は壊れ車は流れて来て、
瓦礫、どこかの家の中から流れてきた様々なもの。
こけしまで。これは遠刈田系だろうか。
そして冠水のあるところには、何体か遺体が浮いている。

町内を生き残った人たちと挨拶を交わして、
励ましあいながら歩いていると、もう一人の義理兄の紳几さんが歩いていた。
本当に生き残った人に会うだけで、涙が溢れてくる。
紳几さんは、被害が大きかったと言われている南浜町方面の
製紙工場で働いていた、だから本当に心配だった。

彼はこれから歩いて石巻市赤十字病院へ行くという。
妊娠している姉が、もうじき臨月を迎えるので病院に運ばれたので
必要物資を届けに行くとのことだ。
僕も一緒に行くことにする。

様々な道がまだ冠水で水没しているので、
物凄く遠回りをして、そして歩いて行く。
その間に石巻の立町、住吉町を通ることになるのだけれど、
また悲惨な光景を目の当たりにする。
僕が今まで生きていた27年見てきた石巻の姿は、もうそこには無かった。









車の中、瓦礫の中に、まだ遺体が残っている。
聞くと、先ずは人命救助が最優先とのことで、遺体が残っている。
心の中で般若心経を読みながら、歩き続けた。




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