雄勝町の芸能に触れて (ペチャクチャナイト仙台で話した内容のまとめ)





雄勝町 伊達の黒船太鼓保存会

僕が今大きく関わらせてもらっている
石巻市の雄勝町にある23年前に出来た郷土芸能団体です。

雄勝町の芸能には他に、国の重要無形文化財にもなっている雄勝法印神楽、
胴ばやし獅子舞など600年以上続くとされているものがあります。




伊達の黒船とは、
今年、出帆400年になる慶長使節船「サン・ファン・バウティスタ号」の事で、
今の雄勝町がサン・ファン・バウティスタ号の建造の地である説から名付けられました。

代表曲の一つの「伊達の黒船」は
サン・ファン号の建造から出帆、支倉使節団が太平洋の過酷な航海を経て
メキシコのアカプルコ、大西洋を渡りスペイン、そしてローマまでの軌跡を

身体と和太鼓の音で表現しています。




また、石巻市出身で大阪音楽大学の現副学長、現代音楽作曲家の
和泉耕二氏によるピアノと和太鼓、ディジュリドゥ、そして雄勝石を割る音を
取り入れた現代音楽曲「ペルム幻想」もあり、
2007年の初演時にディジュリドゥ、雄勝石のサンプリングプレーヤーとして
共演させてもらったのが、僕と彼らとの出会いでした。

それからは僕は1ファンとして、伊達の黒船太鼓保存会と関わり、
たまに一緒に共演させてもらったりしていました。


そんな黒船太鼓の大きな転機が、2011年の東日本大震災でした。

震災で壊滅的被害を受けた雄勝町。
僕自身が震災後初めて雄勝町に入れたのは5月の上旬。
父が雄勝石の天然スレート屋根工事を生業としていて、東京駅の修繕、復元について
バタバタやっている中でもありました。


父と二人で雄勝に入ると知っている景色、風景はもうどこにもありませんでした。




山は削りえぐられ、家々は瓦礫化して、
公民館の屋根にはバスが引っかかっていて、
黒船太鼓のメンバーの安否がとても心配でした。




スレート工場も基礎しか残っていませんでしたが、
東京駅に使用する筈だった石だけは奇跡的に残っていて、
そしてそこに何故か黒船太鼓保存会の会長の神山さんの姿もありました。




他にも見覚えのある保存会メンバーがいて、
その時の言い難い胸の底から込み上げる嬉しさは忘れることはありません。

ここで集まったのも、あれなので太鼓を鳴らそう!ということになり

流された太鼓を探し、拾い集めて太鼓を鳴らしました。




水と泥にまみれたボガボガの太鼓でしたが、
その音に彼らがどれだけ芸能、
太鼓を大切にしているか改めて感じ、
そしてその音に引き寄せられるように避難している人達が集まったのでした。


その時、僕は彼らの芸能活動を支援しよう、そう心に決めました。

今ここで彼らが歩みを止めたら恐らく二度と
この芸能が戻ることが無いかもしれないとその瞬間、直感しました。




その後、様々大変な事も続き、練習場所も流されて無いけれど、
駅前で集まってみんなで雑誌を叩いてたりしつつ
ひたすら精一杯の出来ることを続け、




全国、世界の様々な人達から支援と応援をいただき、
流された和太鼓を修理、衣装をコシノ・ジュンコさんに支援していただき、
演奏活動もまた出来るようになりました。




自分達で太鼓を直したりもしました。
そんなこんなしているうちに、

2012年になり、黒船太鼓保存会に僕は入会することになりました。





入会することで自分も雄勝町の芸能者の一人として
和太鼓に打ち込むようになり、
その活動の中で、地域の祭り、そして法印神楽、獅子舞の方々との
交流も始まり、地域に芸能がどう根付いているのか、

また芸能がどう地域に影響を与えているのかを感じ始めることになりました。

まずは神事の「」がその中心にあり、
それに奉納される法印神楽があり、神楽の演目から独立した獅子舞があり、
その獅子は縁起物として住民から愛されている。

それの理由は深すぎて、いまだつかめていませんが、
やはりずぅっと昔から続いていて、
住民が理由を考える以前に、祭、神楽、獅子舞
長い年月をかけてそこに存在するものとしてあり、

そして、人々、祭、神社としっかりと繋がっているように見えます。




一方、黒船太鼓は平成になってから誕生した若い芸能で、
多くの住民からは今でも「創作芸能」と呼ばれています。
「観光客誘致の起爆剤」が当初の役割でもありました。
ただ、初期のメンバーは法印神楽や獅子舞の人達が多く関わっていて、
また和太鼓の教鞭役として、奈良のあすか組、静岡の鬼太鼓座が雄勝に来て

みっちりと和太鼓のイロハを叩き込んでいったそうでした。




そこで生まれた曲が「伊達の黒船」。
その曲も、雄勝に長く根付いている神楽、獅子舞の祭り囃子の
基本のリズムを中心に創られた太鼓アンサンブル、組太鼓曲で、
雄勝の人達がどこかで聞いたことがある感じというのが
ある楽曲でもあります。
そして、黒船太鼓は良くも悪くもしがらみの少ない団体でもあり、

祭の神楽、獅子舞の精神を持っているものと感じます。




さて、2013年の末の今、直面している現状。
仮設住宅にいる人達の来年度からの「移転」の先が雄勝ではない、別の地域。
そこへの移転を言われている。

地域の祭、芸能は果たしてどうしていけば良いのか。
また、移転先の地にある祭、そしてそこに移住するであろう、

また別の被災地の住民と、またその地域にあるであろう祭と芸能。

そして、もう一つの現状の後継者不足
地域学校も被災し、他地域の学校と合併されることにもなっている
雄勝の小中学校。
これまでは、学校の「クラブ活動」として、地域の芸能に触れる機会を
教育としてありました。

そして、どの地域の人も抱えている共通の不安。
それは、「帰れるのであろうか。」

どんどん人は流出し、移住先で新しい生活を始め、
若い夫婦には子供も出来、そして学校にも通い始めると
いよいよ引っ越しする事が難しくもなり、
元にある地域へ戻ることを諦めてしまうケースも多々あります。


そういう人達の苦しみは計り知れないものがあります。



そんな中で、郷土芸能が何ができるか、
そして何をするべきで、何をしたいのか。
そしてその中の我々黒船太鼓の創作芸能は何が出来るのか。

そういうことを深く考えて、行動に移しています。




一つは、今年(2013年)の9月に
法印神楽、獅子舞、黒船太鼓の有志が集まり、
今までになかった雄勝の芸能が一堂に会する「鼓舞」という
芸祭を企画、開催しました。雄勝の生活により育まれた芸能の表現、
その表現からまた生活や育みが見えてくる芸能。
色々な人が「雄勝の心、魂」に触れ集まるきっかけになる

狼煙になるような活動を、色々な人の縁の助けを借りつつ始めました。




まだまだ、これからもまだまだやることがたくさんありますが、

一つ一つ、未来に繋がる郷土芸能活動をしていこうと思っています。





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関連サイト:
おがつ秋の芸祭 鼓舞  (Facebook)
雄勝町伊達の黒船太鼓保存会


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