7月からの2ヶ月の間に 1 - 友人との別れ

最近、ずいぶんとご無沙汰更新が続いてしまっています。
前回の更新日を見ると7月2日。
それから約2ヶ月過ぎちゃいました。

その二ヶ月を振り返ると本当に色々あって、身体も心も物凄い
振り幅の動きをしていました。

前回の更新日の次の日。
その日は実は僕の母親が亡くなって17年になる日で、
当時中学生だった時の記憶を少し辿って、色々あったななんて
物思いに耽ってました。

午前中に知らない番号から携帯に着信があったのですが、
庭で畑仕事していて取れずにいました。
留守電が入っていたので、聞いてみる。

「□□です。ポチが今朝亡くなりましたので
 通夜と葬儀の連絡で電話しました。」

唖然としました。

ポチさん。
鳴子温泉などでイベントをする時などに多大な手伝いをしてくれた女性。
自称・他称温泉オタクのちょっと変わっているけれど、
曲がったことが嫌いで、こうだ!って決めたことには突っ走り、
震災の時は支援物資を何度も石巻まで届けてくれました。

自分の丈のことしかできないけどね〜
って言って、どこの団体にも属さないで、
コツコツと自分の給料で出来る支援を七ヶ浜町で継続していました。

実は、何年か前にチラッと癌を患っていることを聞いてました。
それでも、本人は至って気丈に元気に振るまい、この人は本当に病人か?
というくらいアクティブでした。

今年に入りいつも通り連絡がきました。
温泉か音楽の話かなと思って普通に話ていたら、

「いやぁ、実はリンパに転移しちゃった〜。
 鳴響とか色々イベント行きたいんだけれど、身体が無理かも〜」

まぁまぁ、と言ってカラカラ笑いながら温泉の話をまたしだすポチさん。

その日はずっと考えてあまり眠れませんでした。

それからしばらくして、5月に入りまた石巻に来たい!と言って、
車でいつものように来ました。

その時は僕も驚くほどやつれて、というか車運転できるの?!
っていうくらい、フラフラしていた。

「オレももう長くないかな〜、肘響や、秋の円通院は行けるかなぁ〜」

本人がこれまで頑張ってきていたのは、解りきっていて、
そんなので、頑張れ!なんて声もかけれず、ただただ

「まぁ、どんな風になっても、どうせ見に来るでしょ」

と、涙を我慢して言うことしかできなかった。

本人は

「んだなー!」

なんて、言っていた。

色々と地域やら、震災やら、温泉のディープな話を
これでもかというくらいした。

そして帰り際に、これから入院することになるけど、
周りには心配させたくもないから、癌ということとか
言わないでくれと釘を打たれる。

6月に入りそれからはツイッターでやりとり。

「入院したー!」

それから、数日後

「ホスピスに引っ越したよー」

なんか、あまりにも展開が早い。
でも、覚悟はしなきゃな。

本人が一番、その覚悟と闘っていたんだと思うし、
絶対に口には出さないけれど、
生きることと、死ぬことと、自分の人生を本当に本当に
考えて、納得もできないだろうけれど、納得するように、
そして後悔しないように、今まで動いていたんだと改めて思った。

ふと思った時、顔を出さなきゃと思い、仕事を休みホスピスへ行った。

そこには、色々な器具に繋がれたポチさんの姿があった。

でも、僕の顔を見て話ていると、喜んでくれているのが分かるし、
ちょっと元気が出てきたのか、フルーツを食べたいと催促してくれる。

共通の友人の山形の肘折で活躍している、イラストレーターで山伏の坂本大三郎さんが
本を出版して、その話で盛り上がる。

ふと、静寂が来る。

「昨日、隣の部屋の人の家族が集まっててさ。死んじゃったみたいなんだよね」

と、口を開く。

「大三郎くんの山伏の本とか読んでて、本当気持ちが楽になってきてて、本当感謝してる。」

状態はわりと安定していた。また会いに来ようと思った。

それから、数日後の7月3日、息を引き取った。


本当、本当に。見事な生き様を見させてもらいました。
そして、いっぱい助けてもらって、感謝しつくせない。

また、いつものあの場所で、潟沼で会いましょう。。。

ゆっくり休んで。



コメント