庭を作った。 その6 「始動」
2012年 3月
工場と、祖父母の家を解体してから取り敢えず一冬じっくり
この後どういう風にするか考えてみた。
工場跡は、復旧復興作業に来ている作業員に駐車場として
しばらく貸すと父は言っていたが祖父母の家、父が育った家の跡は未定だった。
何もしないでおくのも、また下手に花壇にするのも抵抗があった。
そんな中、旧石巻ハリストス正教会堂の緊急保存プロジェクトに参加することになり、
バタバタして、リチャードが家に居候を始め、作品を作ったり、
通訳をしたりと、かなりてんやわんやでしたが、
4月に大きなイベントを終え、少し落ち着いたので
跡地の事をまた考え始めました。
あの時、3.11から常に思わされていることは命そのもので、
その間に色々な動きが続けてあり、色々な御縁に気がついたり、
新しく持てたり。
また、ヘドロから草木がまた生えてきた時の嬉しかった感情や
命が繋がってまた新しい空間ができていったワクワク感、
そういう空間を作って、自然発生的に友人達などがその場に
集まって、そこで採れるものを食べたりしながら
これからの事とか、未来に繋がる話をしたりできるような
そいう場にしていきたいなと、思いました。
そして、オーストラリアで見てきたことは
パーマカルチャーの実践。
僕は全然甘いけれど、出来る範囲で自然の循環を作れるような
そういう場を作って、自分の練習にもしようと。
何も無くなったという場所に、命が戻り育まれてそれが循環する。
それの一部になれる、それを感じれる場所というのか。
作業を開始しました。
(つづく)
工場と、祖父母の家を解体してから取り敢えず一冬じっくり
この後どういう風にするか考えてみた。
工場跡は、復旧復興作業に来ている作業員に駐車場として
しばらく貸すと父は言っていたが祖父母の家、父が育った家の跡は未定だった。
何もしないでおくのも、また下手に花壇にするのも抵抗があった。
そんな中、旧石巻ハリストス正教会堂の緊急保存プロジェクトに参加することになり、
バタバタして、リチャードが家に居候を始め、作品を作ったり、
通訳をしたりと、かなりてんやわんやでしたが、
4月に大きなイベントを終え、少し落ち着いたので
跡地の事をまた考え始めました。
あの時、3.11から常に思わされていることは命そのもので、
その間に色々な動きが続けてあり、色々な御縁に気がついたり、
新しく持てたり。
また、ヘドロから草木がまた生えてきた時の嬉しかった感情や
命が繋がってまた新しい空間ができていったワクワク感、
そういう空間を作って、自然発生的に友人達などがその場に
集まって、そこで採れるものを食べたりしながら
これからの事とか、未来に繋がる話をしたりできるような
そいう場にしていきたいなと、思いました。
そして、オーストラリアで見てきたことは
パーマカルチャーの実践。
僕は全然甘いけれど、出来る範囲で自然の循環を作れるような
そういう場を作って、自分の練習にもしようと。
何も無くなったという場所に、命が戻り育まれてそれが循環する。
それの一部になれる、それを感じれる場所というのか。
作業を開始しました。
(つづく)
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